2月4日(日)午後、長野郷土史研究会の講演会「善光寺四十九霊地とは~善光寺と四十九名所再発見」を竹風堂大門町ホールにて聴講、テキスト巻末に紹介されていた「門前七天神めぐり」に、受験生の母は敏感に反応、早速実行してみました。
※地図はテキスト「善光寺四十九霊地ー善光寺と長野の七名所」より転載
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巡った順番は、
⑥伊勢町天神社→⑦新町天神社→⑤上西之門町天神社→④桜枝町天神社→③立町天神社→➁長野天神→①嶋の天神。
【⑥伊勢町天神社】
「雲切目薬」で知られる「笠原十兵衛薬局」の右脇、部外者が足を踏み入れていいのかためらわれるような細い路地を抜け、湯福川の小橋を渡った先にあります。
天神様=菅原道真といえば梅の花。
〇こちふかば 匂ひおこせよ 梅の花 あるじなしとて 春をわするな(拾遺集)
京の屋敷で愛でていた庭の梅の木が、左遷された道真公を追いかけて、太宰府まで飛んでいった(飛梅伝説)という逸話も残ります。
この天神社にも、神紋のかわいらしい梅がふんだんにあしらわれていました。
【⑦新町天神社】(柏崎地蔵尊隣)
実は、⑥と⑦、見つけるのにずいぶん右往左往してしまいました。
道に面した小さな祠。
【⑤上西之門町天神社】(弥栄神社内)
道を1本間違えて、熊野神社に行き着いてしまいました…。
弥栄神社境内にあるこの天神社、江戸時代は宿坊や寺侍の子弟の、学問の守り神だったそう。
弥栄神社では、7月に「御祭礼」が行われ、屋台巡行もある、とのことなので、また訪れたい!
【④桜枝町天神社】
大通りからではなく、信号手前の「天神小路」から入ると、立派な鳥居をくぐって入れます。
【③立町天神社】(耕雲庵隣)
信州大学教育学部の裏に建つ、赤煉瓦の「旧長野県庁書庫」の真向かいにあります。
ここにも梅紋がたくさん!
信大の敷地の樹々の間を、エナガの群れが飛び交っていました。
【➁長野天神】
今までの天神社もそうですが、路地を一本入るだけで、「こんなところに!」という驚きがあります。
この付近が「長野」の名前の発祥の地なので「長野天神」という名が付いているのだとか。
敷地には「孝信桜の碑」。
善光寺大地震(1847年)で亡くなった学問好きの青年・宮下嘉之(戒名:孝信信士)は、菅原道真の業績を研究、
〇さくら花 主をわすれぬ ものならば 吹き来む風に 言づてはせよ(後撰集)
と道真が歌を詠んだことにちなみ、桜の木を植えたといいます。※現在は木はなく碑のみ。
【①嶋の天神】(栽松院境内)
センターから目と鼻の先にある「しまんりょ小路」入口の「栽松院」。
しょっちゅう前を通っていますが、実は、お参りしたことはありませんでした。
「しまんりょう」という通称は、「島の寮」で、島に建てたお堂(観音堂)の意。
今は暗渠となっていますが、昔は両脇を善光寺平用水の八幡川が流れ、島のようになっていたそう。
境内で目を引くのは、子育て赤地蔵尊。
天神社の小窓から内部を覗かせてもらうと…
右大臣・左大臣、奥には、天神様が中に鎮座されている御殿、そしてお供え物がされていました。
途中、迷ったり、寄り道したりしながら、自転車を走らせること、およそ1時間🚲
7か所すべて回りきった達成感といったら……、「爽快」でした。
「七福神めぐり」は経験済みなので、次は「門前七稲荷めぐり」!と気合がみなぎっています。[YT]