先日、長野ロキシーで公開中の映画『風をつかまえた少年』を観ました。
“僕がどうやって風力発電で未来を手に入れたのか。”とチラシに書いてあったので、自然エネルギー関連の映画だと思って行きました。
ところが、自然エネルギーとだけくくったのでは収まらない、予想を超える物語がそこにはありました。
三度の食事がとれる、学校に通える、日本ではあたりまえなことが、実はどれほどありがたいことなのか、
アフリカ・マラウイ(私はこの国を今まで知りませんでした)のカムクワンバくんの境遇を目の当たりにして、突き付けられました。
学校の先生が乗っていた自転車のライトを盗もうとしたときに、なぜペダルをこぐと点灯するのか、不思議に思うのが事の発端でした。
図書室にあったエネルギーについての1冊の本と出会い、独学で風力発電のできる風車をつくりあげ、干ばつで乾いた畑に水を引くのです。
私は、何不自由なく大学まで通わせてもらいましたが、勉強したことが生活に直接役に立った、という実感は正直ありません……。
最近読んだ荒了寛氏の著書に、「頭がよい」ことと「賢い」ことの違いが書かれていました。
前者は、知識が豊富でたくさん勉強を積んでいること、後者は、勉強したり見聞きしたり体験したことを応用して、何かを実行できること。
カムクワンバくんこそ、頭でっかちではない、まさに「教育」によって得た知識を生活のなかで実行に移した「賢い」人!
一日に一食しか食べられないような状況になったとき、母親が娘に言った、
「私の腕を切ってでも、あなたたち子どもを飢えさせはしない」という覚悟の言葉も忘れられません。
長野ロキシーで上映中です。ぜひご覧ください。
☞映画『風をつかまえた少年』について詳しくはこちら(公式HP)。
たまたま、スピッツの曲♪『会いに行くよ』を聴いていたら、
「広げた手は 当たり前じゃない風をつかみ どんな夢も叶えてみせる」と歌っていました。
タイトルの「風をつかまえた」という言葉には、実際に自然界の”風”を捉えて発電したことと同時に、
“夢をつかんだ”(=”未来を手に入れた”)ことも込められているように感じました。[YT]